韓国版ミュージカル『モーツァルト!』あらすじと曲紹介|2020年配信より

2020年8月、韓国ミュージカル『モーツァルト!』の配信を再配信含め4回観ました。

韓国のM!を日本語字幕付きで配信して下さり、日本にいながら3人のヴォルフガングを見る機会に恵まれ感謝!

キャストの皆さん歌唱パワーに圧倒され、ストーリーも今までにない視点を持て本当に素晴らしい公演でした。

MEMO
2020年9月追記:キム・ジュンスさんヴォルフガングによる1幕ラスト「影を逃れて」の映像が公開されたので追加しています。
「影を逃れて」
 

公演内容

ミュージカル『モーツァルト!』韓国10周年記念公演
公演期間:2020年6月11日~世宗文化会館大劇場

延長公演終了
韓国で公演中の『モーツァルト!』は、韓国政府のソーシャルディスタンス強化措置に基づき、8月19日、8月20日を最後に延長公演が終了となりました。

大変な状況下で日本向けに配信してくださって本当にありがたいです。そして早期公演終了残念に思います。カンパニーの皆さまどうかご無事でいますように。そして早くこの状況が落ち着いてまた無事舞台が開きますように。

キャスト一覧・公演(配信)スケジュール

引用:https://piakmusicalmozart.com/


韓国公演日時8月4日(火) 19:008月5日(水) 15:008月5日(水) 20:00
日本配信日時 8月9日(日)17:00~
8月11日(火)19:00~
8月10日(月・祝)12:30~
8月11日(火)19:00~
8月9日(日)12:30~
8月10日(月・祝)17:00~
8月23日(日)15:00~(アンコール)
ヴォルフガング・モーツァルトパク・ウンテパク・ガンヒョンキム・ジュンス
コンスタンツェ(モーツァルトの妻)ヘナキム・ヨンジキム・ソヒャン
コロレトド大司教ソン・ジュノミン・ヨンギミン・ヨンギ
レオポルト(モーツァルトの父)ユン・ヨンソクホン・ギョンスホン・ギョンス
ヴァルトシュテッテン男爵夫人シン・ヨンスクキム・ソヒョンシン・ヨンスク
ナンネール(モーツァルトの姉)チョン・スミペ・ダヘペ・ダヘ
セシリア・ウェーバー
(コンスタンツェの母)
ジュアキム・ヨンジュキム・ヨンジュ
エマヌエル・シカネーダー
(劇場支配人)
シン・インソンシン・インソンシン・インソン
アルコ伯爵(コロレドの部下)イ・サンジュンイ・サンジュンイ・サンジュン

休憩20分入れて3時間
開始前30分~と、幕間に『モーツァルト!』の曲が流れる

簡単【3分】で読めるモーツァルトの生涯と年表

2020年韓国ミュージカル『モーツァルト!』特徴(感想)

きねちゃん

韓国M!は今まで観たことが無く、この2020年バージョンが初めて。ざっと思ったことを書きました。個人的感想含みます。

2020年韓国M!は、現在の日本版M!より曲や流れが2015/2016年ウィーン新演出版に似ています。違う箇所も多いですが、日本版より近いです。

韓国M!は父と子の関係において「答え」を、演出ではっきり出しているように思いました。

この作品は「自分の人生を捨て息子に全てを投資した父と、父の期待に応えようともがいた息子」の、父レオポルトと息子ヴォルフガングの親子関係が物語の軸の一つになっています。

この親子関係は、演じる役者さんのほか、演出や観る側(観客)の家庭環境等によって、印象が大きく違うと思うのですが、韓国版は父親のエゴが強調されています。「愛している」という言葉が呪いになっているように思えたキャストさんもいました。

姉ナンネールは、日本版は「自己犠牲」という言葉が思い浮かびますが、韓国版は弟に自分の未来を預け裏切られる姉の印象です。

日本版では顔を出さない、母親役の人が登場しました。

コロレド大司教のヴォルフガングの「天才性」への執着の描き方が、日本版よりもわかりやすいです。個人的に2018年日本版でも追加になった新曲「破滅への道」が謎だったので、韓国版をみて腑に落ちた感があります。

この作品のヴァルトシュテッテン男爵夫人は不思議な存在で、ヴォルフガングを家族から引き離す悪魔のように思えることがあったのですが、韓国版では家族の呪縛を解く「救い」の存在なのかなと思いました。極限状態のヴォルフガングにまっとうすべき運命を突きつける場面はしんどいものがありましたが…

 
ミュージカル『モーツァルト!』は大好きな作品の一つですが理解が難しいところもあり、<観劇しながらなんとなく流していた部分が実は多かった>ことを今回の韓国M!の観劇で気づきました😅

韓国版が正解というよりも、さまざまに解釈できる作品で、韓国M!は父と子の関係において一つの答えを出したのかと思います。

2020年韓国ミュージカル『モーツァルト!』詳しいあらすじ・ネタバレあり

最初に
再配信含め4回観ましたが、記憶があやふやな部分があります🙇‍

だいたい、こんな感じだったかなと。

日本版、ウィーン版の比較コメントを所々入れています。

ウィーン版で参考にしているのはDVDが発売されている2015年新演出版。(ウィーンオリジナル版はCDのみ所有。舞台を観ていません)

曲名はハングル語が分からないので、日本語タイトルとオリジナルのドイツ語タイトルを入れています。日本語に無い曲はドイツ語タイトルのみ。

第1幕

プロローグ

1809年。ウィーン聖マルクス墓地にて

モーツァルトがなぜ天才なのか、科学的解明のためモーツァルトの頭蓋骨を調べたいドクトル・メスマーは、モーツァルトの妻だったコンスタンツェに案内料を払い頭蓋骨を発掘しようとする。

「モーツァルト夫人」と呼ばれ、「ニッセン。今の私はモーツァルトではなくニッセン」と答えるコンスタンツェ。

コンスタンツェに案内されたドクトル・メスマーは「この場所こそ魔法が宿る場所」「彼は星のように地球に現れた」とつぶやく。

すると時が代わり、ウィーン宮廷で演奏するヴォルフガングの姿が現れる。

MEMO
ニッセンはコンスタンツェがモーツァルトの死後再婚した相手。ゲオルク・ニコラウス・ニッセンはモーツァルトの熱烈ファンで、最初にモーツァルトの伝記を書いた人物。

Was fuer ein Kind!

父レオポルトと姉ナンネールが見守る中、少年モーツァルト(ヴォルフガング)がウィーン宮廷でクラヴィーア(ピアノ)を演奏をしている。

称える貴族がいる一方、「いんちき、我が子を奴隷のように扱う」と批判する貴族もいる。

目隠しでのクラヴィーア演奏にヴァイオリン演奏と神童ぶりを発揮するヴォルフガング。しかしふらふらと倒れこむ。

弱っているヴォルフガングを最初に見つけたのがヴァルトシュテッテン男爵夫人。次に姉のナンネール。

父親のレオポルトは「神童」の売り込みに夢中だ。ナンネールから言われるまでヴォルフガングの不調に気づかない。伝えられても「心配ない、疲れているだけだ」と答える。

幼いヴォルフガングはマリア・テレジアの膝に乗り、マリア・テレジアはヴォルフガングを「アマデ」と呼ぶ。褒美に息子ヨーゼフ二世が着ていた赤いコートをヴォルフガングに与える。

喜ぶヴォルフガングに「アマデ」と呼びかけるヴァルトシュテッテン男爵夫人。

レオポルトはヴァルトシュテッテン男爵夫人に、「演奏でお金がかかったのに女帝からは古いコートしかもらえなかった」と不平を口にする。

ヴァルトシュテッテン男爵夫人は「子供をこき使っていませんか?気を付けないと心まで病みますよ」とレオポルトを諭す。

幼いヴォルフガングはいくつか箱が置いてあるテーブルから、ある箱を選ぶ。箱を開けると、のちに作曲する事になる音楽が流れる。

箱を渡すように言うレオポルトに「奪ってはなりません。」「小箱はこの子のものです」と男爵夫人。

「才能だけでは成功はつかめない。」「成長して大人になれば平凡な作曲家。子供のままでいてくれ」と願うレオポルト。

MEMO
「♪Was fuer ein Kind!」は、直訳すると「なんていう子だ!」。日本版の「♪奇跡の子」と同じ意味になりますが、日本版とは音楽が異なります。この曲はウィーンオリジナル、新演出版と同じ。日本版は二幕ラスト「♪モーツァルト!モーツァルト!」のメロディーがここで使われています。


この場面は、日本版だとメスマー邸になっていますが、韓国版、ウィーン版ではオーストリア皇后マリア・テレジアがいることからウィーン宮廷のようです。


ウィーン新演出版に似ていますが、ヴォルフガングが倒れこむシーンはウィーン版にも日本版にもありません。


日本版の「♪人は忘れる」は無し(ウィーン新演出版にもこのメロディーはある)


韓国版はこのシーンでナンネールを子役が演じる。

赤いコート/Der Rote Rock

9年後のザルツブルク。青年になったヴォルフガングはザルツブルクで音楽活動をしている。

マリア・テレジアからもらった赤いコートは古くなり、以降はグレーのコートを着ていたが、再び貴族のみ許された赤いコートを着る。

そんなヴォルフガングをみて「あなたは私の王子様」と喜ぶ姉ナンネール。

「パパもみたら喜ぶだろう」はしゃぐヴォルフガング。

ザルツブルクのコロレド大司教に媚びる毎日に嫌気がさし、子供時代のように広い世界に演奏旅行に行きたいヴォルフガング。

しかしレオポルトは「大司教のために曲を書け」「コートは脱げ」と命じる。

レオポルトが育てた、かつての神童の姿はない。

自由を求めるヴォルフガングに、大司教に逆らっては生きていけないと、ヴォルフガングの言い分を認めない父。

MEMO
ウィーン初演版から削られた曲。再演版にはなし。


当時ザルツブルクは大司教がおさめる独立したカトリック国家。モーツァルト一家は領主の大司教に仕える身でした。

僕こそ音楽(ミュージック)/Ich bin Musik

一人になったヴォルフガングは、お父さんにありのままの自分を見て欲しいとつぶやく。

小箱をもったアマデが登場。

アマデと向かい合い、ヴォルフガングが歌う「僕こそ音楽」。

音楽の喜び、そして僕こそ音楽を生み出す存在…

無礼で礼儀知らずだけど、そのままの僕を愛して欲しい

MEMO
「♪僕こそ音楽」の前に、一幕最後の「♪影を逃れて」のメロディが少し流れ、この先を暗示しているように感じます。


このナンバーは、1777年11月にヴォルフガングが父に充てた次の手紙から引用しているのではないか?と思います。

「僕は詩的なものは書けません。詩人ではありませんから。僕は表現を巧みに描き分けて影や光を生み出すことは出来ません。画家ではないですから。身振りで感情や考えをあらわすこともできません。踊り手ではないですから。でも音でならそれが出来ます。音楽家ですから。」

何処だ、モーツァルト!/Wo bleibt Mozart?

領主コロレド大司教のもとへ自作の曲を持参するヴォルフガング。

「天国でしか聞けない神聖な僕の曲」
「大司教様が聞いたら胃に悪いですよ。皇帝ならまだしも司教には難しい」

無礼な態度で接するヴォルフガングに怒り爆発のコロレド。

傍若無人なヴォルフガングと独裁的な大司教は対立し、ついに大司教はヴォルフガングにクビを言い渡す。

しかしモーツァルト親子を追い出した後、部下のアルコ伯爵に楽譜を拾わせ、ヴォルフガングの譜面を読みその才能に驚く。

MEMO
地球儀、鍵、時計など知性の探求を想像させる舞台装飾が印象的。
ヴォルフガングのセリフが面白いです。

私ほどお前を愛するものはいない/Niemand liebt Dich so wie ich

父レオポルトは息子の身勝手さと、気の短さに怒る。

今まで私が積み上げてきたものを壊す気か?と

ヴォルフガングは、ザルツブルクでは僕の才能は潰されてしまう。ここを離れて壮大なコンチェルトにオペラ、シンフォニーを書く!と訴える。

父は「私ほどお前を愛するものはいない」「お前には私が必要だ」と繰り返す。

まァ、モーツァルトの娘さん!/Ah, das Fraulein Mozart

市場に訪れたナンネール。知り合いから「弟は大司教に逆らって追い出されたのよね」と言われ反論できない。

しかしきっとうまくいく、弟が呼んでくれるはずと希望を持つナンネール。

そこにアルコ伯爵が現れ「大司教の手回しでモーツァルトは誰にも雇われない」と告げられる。

マトモな家庭/Eine ehrliche Familie

1777年マンハイム。

貧乏生活から抜け出したいウェーバー一家。

「我が子はみなお荷物」「歌だけ無駄にうまい長女」・・・と妻のセシリアは自分の娘たちに不満。

一家は、マンハイムを訪れていた作曲家モーツァルトに目を付ける。

ヴェーバー夫妻の娘で歌手のアロイズィアにヴォルフガングが惹かれたのをみて、2人を近づける。

ウェーバー一家「私たち家族の幸せを(モーツァルトに)託してみよう」

MEMO
セシリアたちのセリフはレオポルトがヴォルフガングに向ける言葉と意味がかぶっています。


韓国版はウィーン新演出版と同じく、ここでコンスタンツェにスポットを当てていません。

心を鉄に閉じ込めて/Schliess Dein Herz in Eisen ein

息子を旅に出したことに対し、自分を責めるレオポルト。未熟者なヴォルフガングに不安はつきない。

強くなれ、ずる賢くなれ…感謝するんだ、自分の才能に。私の自慢の息子となるように

レオポルトの側には、幼いヴォルフガングが着ていた赤いコート。その服に向かってレオポルトは語り掛ける。

幼いアマデが着ていた赤いコートに向かって語りかける父レオポルト(日本版、ウィーン版はアマデの服は出てこない)

そしてヴァイオリンを我が子のように抱きしめるレオポルト。

MEMO
こちらの記事中「韓国版ヴァイオリンがみせるレオポルト像」で書きましたが、レオポルトは優れたヴァイオリン奏者で、ヴァイオリンとはレオポルトの楽器です。

日本版ではレオポルトのヴァイオリンとして登場します。しかし韓国版では、恐らく幼いヴォルフガングが演奏時使用していたヴァイオリンが出てきているのではないか?と思います。


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトも優れたヴァイオリン奏者でしたが、徐々にヴァイオリンを演奏しなくなります。理由は諸説ありますが、ヴァイオリンが父レオポルトの楽器だったため、父への反抗から来ているという説もあります。(このシーンの演出の意図はわかりません)

 

ヴォルフガングの手紙を持ってくるナンネール。パリで母親が病気になったという知らせだった。

演奏もうまくいっていないようだ。

私が一緒なら宮廷楽士だってなれただろうに。

息子と妻の無事を神に祈り娘ナンネールと抱き合うレオポルト。

残酷な人生/Was fur ein grausames Leben

パリでの公演。しかし人が集まらず公演は失敗だった。

しかも一緒に来た母をパリで亡くしてしまう。ロウソクの火が消えるように。

絶望の淵に立たされるヴォルフガング。しかしヴォルフガングの傍らでは、一心不乱に作曲を続けるアマデの姿がある。

アマデを止めようとするヴォルフガング。しかしアマデは作曲を続ける。

MEMO
韓国版(ウィーン版も)では母親役の人が登場
母の死がモーツァルトの作品に与えた影響については、こちらの記事中「母の死後、新たな境地へーピアノソナタ第8番イ短調K.310」で書いています。

In Salzburg ist Winter

直訳すると冬のザルツブルク。ウィーン新演出版と同じ。

日本版では、ザルツブルクの「居酒屋」に当たるシーン。

ヴォルフガングは旅での失敗を揶揄される。日本版ほど笑い者にはなっていない。

チョッピリ・オツムに、チョッピリ・ハートに/Ein bissel fuers Hirn und ein bissel fures Herz.

ザルツブルクに巡業中だった劇作家で俳優、劇場支配人のエマーヌエル・シカネーダーが現れ、ヴォルフガングと意気投合。芸術は大衆のために身近であるべきだというシカネーダーと、ヴォルフガングはまた会う約束をする。

【黄金星】星から降る金/Gold von den Sternen

ザルツブルクの大聖堂のパイプオルガン。

ヴォルフガングは飲んだくれている。日本版やウィーン版では女性といちゃいちゃしているが、韓国版は1人。

「ヴァルトシュテッテン男爵夫人がお呼びだ」とレオポルト。

 

ヴォルフガングをウィーンへ連れて行きたいとヴァルトシュテッテン男爵夫人。

しかし息子に何が必要か自分が一番わかっている、と強く反対するレオポルト。

夫人はおとぎ話を話す。

息子を愛し守ため城壁を高くし息子を閉じ込めようとする王様。

しかし息子が星を求めるなら、独りで旅に出なければならない、

金の星が降ってくるときは、世に向かって旅に出なければならない、と歌う。

MEMO
韓国のタイトルは黄金星。

「旅に出るのよ」という日本版に対し、「旅に出なければいけない」と韓国版は強い言い方。

ウィーン版も、おとぎ話に絡めながらもmuessen(~しなければいけない)と歌っているので、韓国版・ウィーン版は、日本版よりも「才能を授けられたものの逃れられない運命」をこの曲で表現しているように感じます。


「束縛からの解放」「選ばれた人間はその運命から逃れられない」を訴えるこの曲こそ、ミュージカル『モーツァルト!』そのものではないかと思います。

私ほどお前を愛するものはいない(リプライズ)/Niemand liebt dich so wie ich (Reprise)

息子のウィーン行きに反対し、かつての旅行で自分の金と名誉を失い、母の命まで失ったとヴォルフガングを責めるレオポルト。

「僕が偉大な作曲家になれば父さんだって自慢できるだろう」食い下がるヴォルフガングだが「行かせない」とレオポルト。

「ザルツブルクは嫌だ」と叫ぶヴォルフガングに、「なんて口を利くの?いつも神様の次に大切なのはお父様だって言っていたじゃない」とナンネール。

レオポルト「私ほどお前を愛する者はいない」
ナンネール「お父さんは私たちを愛している」

ヴォルフガング「息が詰まる」そしてウィーンへと旅立つ。

神が私に委ねたもの/Wien wird mich um ihn beneiden

ウィーンへ向かう馬車でコロレド大司教とアルコ伯爵。

ヴォルフガングがザルツブルクから離れても監視を怠らない大司教。他の領主にモーツァルトをとられないか気にしている。

ウィーンの人々はザルツブルクの天才に熱狂するだろうが、すべては私(コロレド)のもの。私は崇拝されるだろうと高らかに笑う。

MEMO
日本新演出版でカットされたおトイレシーンあり。

お腹を下す大司教と、便秘の大司教がいました。

 
ウィーンのプラター公園にて。

ヴォルフガングはシカネーダーとマンハイムで出会ったウェーバー一家に再び会う。

アロイズィアは結婚し歌手になっていた。

・・・一部耳慣れない曲があって、追えませんでした。・・・

日本版の全てがイカサマ、セシリアとヴォルフガングの辺りです。

並みの男じゃない/Ich bin extraordinaer

大司教の館に泊っているというヴォルフガングに、うちにおいでと誘うウェーバー一家。

ヴォルフガングを尾行していたアルコ伯爵が出てきて、大司教様の館から出るな、すぐ戻れと命じる。

アルコ伯爵を美女の人体切りショーの箱に閉じ込め、僕は神に選ばれた男!と歌うヴォルフガング。

このままのあなた/Weil du so bist, wie du bist

ヴォルフガングはコンスタンツェと愛を深めるようになる。

「あなたは特別な人」というコンスタンツェに、「僕なんてつまらない男だよ」とヴォルフガング。

「あなたはあなたよ」と、今まで欲しかった「自分をまるごと認めてくれる存在」に出会う。

終わりのない音楽/Gibt es Musik

ザルツブルク。ヴォルフガングの帰郷を大司教に頼もうとナンネールに向かって言うレオポルト。

ヴォルフガングは大司教の館から出てウェーバー家に住み、皇帝陛下の前で演奏する機会を自らふいにしていた。

「また家族がひとつになれば未来は私たちのものだ」とレオポルト

ナンネールは時間が巻き戻らないことに気づいている。

MEMO
ウィーンオリジナル版にあった曲ですが、2001年ハンブルク公演より削られ、ウィーン新演出版ではなし。
子供時代のヴォルフガングとナンネールが回顧シーンで出てきます。

僕はウィーンに残る/Ich bleibe in Wien!

演奏会が中止になったヴォルフガング。大司教のせいだとウィーンの大司教の館に乗り込む。

「高慢な奴」と言われ「僕たちはみな高貴な存在」訴えるヴォルフガング。

「ザルツブルクに帰れ!」大司教が命じるが「僕はウィーンに残る!」とヴォルフガングは応戦。

「”自由”を言い換えると、それは”飢え”になる」指摘する大司教。

「僕を支配することはできない。僕の才能を奪えない。奪われてもあなたの奴隷じゃない。」
「安全な道も楽な道も興味ない」とヴォルフガング。

アルコ伯爵に尻を蹴られ追い出される。

「お前はおしまいだ」と言われるが「いや、始まりだ。ついに自由になった」と叫ぶヴォルフガング。

MEMO
モーツァルトがアルコ伯爵に足蹴りされたと手紙に残しています。
史上初フリーの音楽家が登場したシーン。

影を逃れて/Wie wird man seinen Schatten los?

自由になった喜びから一転、自分自身がとらわれていた運命=アマデに気づくヴォルフガング。

赤いコートを脱ぎ捨てる。

「どうすれば自分の運命を拒めるのか」「もし自分の陰から逃げられるのなら」

ヴォルフガングを映していた鏡が割れ、現れるのは中央で作曲するアマデ。

ヴォルフガングはその周りを回る衛星のよう。中心にいるのはあくまでアマデ。ヴォルフガングはアマデに血を与えるだけの存在。

きねちゃん

10周年記念公演のキム・ジュンスさんヴォルフガングによる「影を逃れて」が公開されました。
MEMO
自分の影=アマデだったのが、途中からアマデが光でヴォルフガングが影のようにも見える演出。

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