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イエス・キリストの生涯⑤ユダ裏切りの理由~私は裏切った~

イエスの弟子のうち、特に選ばれた12人、いわゆる使徒の一人でありながらイエスを裏切ったユダ。

ユダの裏切りは新約聖書最大の謎の1つです。

裏切ったことは明らかなのですが、どの福音書にもなぜ裏切ったのか理由が明確に描かれていないからです。

「イエス・キリストの生涯」(Jesus: His Life)のエピソードと解説です。5つめのエピソードは、ユダ。

ユダに関する簡単な解説からはじめます。

上の絵:ジョット・ディ・ボンドーネ/最後の晩餐
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イスカリオテのユダ・・・「イスカリオテ」とは

ユダとは誰なのか?

ユダは「イスカリオテのユダ」と呼ばれます。

イスカリオテの意味は議論されており、

へブライ語で

「イス」=「イーシュ」=男
「イスカリオテ」=「ケリヨト」

なので、「ケリヨト出身の男」を表すというのが有力説。

イエスの弟子の多くはガリラヤ出身が多く、ユダは出身地が異なることで他の弟子とは違う、と示しているのかもしれません。

他にも、イスカリオテが「暗殺者」のシカリ党に由来する説もあります。

一世紀、シカリという短剣を持つ「シカリ派」という暗殺集団がいました。ユダが刺客であると伝えている可能性があります。

イエスとユダの関係

イエスとユダの関係も実はよくわかっていません。

わかっているのは以下のこと。

  • 他の弟子たちとは出身地が違う(らしい)
  • イエスたち一行の会計係
  • イエスとユダはよく一緒にいた
  • イエスを「ラビ」(先生)としか呼ばなかった

会計係を務めていたほどだったから、イエスからは信頼されていたのではないか、
イエスとユダはよく一緒にいたので、イエスのお気に入りだったのではないか

・・・と推測できます。

ただ、ユダのイエスへの気持ちは、他の弟子とは違うものだったのではないか?

というのも、どの福音書でもユダはイエスのことを「ラビ」(=先生、教師の意味)としか呼んでいないからです。

他の弟子もイエスを「ラビ」と呼びますが、ここぞという時は「主よ」と呼びます。イエスを神の子と信じていたから。

ユダはイエスを「主」と呼ばないことから、先生として評価をしつつも、「主」、「メシア」とは認めていなかった、と考えられるんですね。

裏切りのきっかけになった?イエスとユダの諍い

以下、ドラマのエピソード+簡単な解説です。

ある日、エルサレム近郊のベタニアのマリアの家にいたイエス一行。

マリアの兄弟ラザロはイエスの友人で、彼は一度死ぬのですが、イエスの奇跡により復活しました。

マリアが香油の壺をもってイエスの前に現れます。そしてラザロの蘇生に感謝し、イエスの足に香油を塗り、彼女の髪で拭いました。

香油は純粋なナルドで高価なもの。現代でいえばシャネルの5番、当時の労働者一年分の賃金に値するそうです。

それを見たユダは批判します。

「香油は売って、貧しい者に施すべきでは?」

それに対しイエスは答えます。

「するままにさせておけ。なぜ困らせる?」「貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいる。しかしわたしはいつも共にいるわけではない」

ヨハネの福音書によれば、ベタニアのマリアを咎めたのはユダだけ。しかし福音書によっては、ユダ以外の弟子たちもマリアを咎めたと記されているものもあります。

さらにヨハネの福音書では、ユダの発言は貧しい人への思いやりからではなく、会計の中身をごまかしていたからとまで書いています。

この事からもわかるように、4つある福音書の中で、ユダに最も批判的なのはヨハネ福音書です。

ユダの意図はわかりませんが、会計係としての責任を果たしているのに弟子たちの前で叱責をうけ、はじめてユダはイエスに反感をもった可能性もあります。

香油を塗る意味
当時、香油は体臭を消すための化粧品として、また死体の臭いを消すために埋葬前に使用されました。

ベタニアのマリアは、イエスがメシアだと信じていたので生前から葬りの準備をし、彼の死を予感していたとも考えられます。

イエスはこののちエルサレムで罪人として殺されることを覚悟していたので、マリアが自分に香油を塗ってくれたことを喜びました。

イエスとマリアにとって「香油を塗る」意味は、十字架にかかるイエスの葬りの備えでしたが、ユダには理解できませんでした。

イエスのエルサレム入城とユダの疑念

キリストのエルサレム入城/モザイク(壁)、パラティーナ礼拝堂
キリストのエルサレム入城/モザイク(壁)、パラティーナ礼拝堂

イエスは過越祭にエルサレムへ再び訪れます。

政治と宗教の中心地エルサレムへいって、イエスは神の使命を果たす必要があったんですね。

しかしイエス一行は、かつてエルサレムでユダヤの宗教指導者カイアファから逮捕されそうになり逃げていました。

イエスが再びエルサレムへ、大勢のユダヤ人が集まる過越祭の時期に訪れることは、ユダには自殺行為に思えます。

エルサレムへ向かう途中、イエスは弟子たちに命じて(このテレビドラマではユダに命じています)、「向こうの村にロバと子ロバがつながれていえる。ほどいて引いてきなさい」といいます。

これは、マタイの福音書によれば、エルサレム入城にイエスが演出をしかけたもの。

ゼカリヤ書(旧約聖書文書の一つ)の予言にある、「王が戦車ではなく、みすぼらしいロバに乗り救い主としてやってきた」ことを実現するためでした。

当時のエルサレムは、ローマの圧政に苦しむユダヤ人が、抑圧から救ってくれるメシアを求めています。

ただし群衆はメシアがどんな姿か知っていたわけではなかったので、イエスが自分がメシアであると「しるし」を示したわけです。

この派手な登場の仕方は、騒ぎを警戒するカイアファなどユダヤ人の体制側とローマ帝国の権力者にとって最悪でした。

イエス一行は神殿へ向かいます。

神殿には、両替人、動物を売る人、祭司など、過越祭の祈りに訪れる人々向けに、商売をしていました。

神殿を金儲けの場にしているとイエスは怒り、弟子と共に屋台をひっくり返し、売買する人を追い出し、騒ぎになります。

ヤーコブ・ヨルダーンス/神殿から商人を追い払うキリスト

ヤーコブ・ヨルダーンス/神殿から商人を追い払うキリスト

このイエスの姿をみて、ユダは疑念を覚えたかもしれません。

イエスがまるで政治的、宗教的扇動者のようにもみえると。これではイエスは社会への敵でした。

ユダヤ大祭司カイアファを訪れるユダ

イエスが再びエルサレムを訪れたことは、ユダヤ教指導者のカイアファにとって頭痛の種でした。

エルサレムで暴動が起きればローマの介入を招き、ユダヤ教が抑圧され大勢の人が亡くなる恐れがあったからです。

ユダヤ教の宗教指導者として、それは避けねばならなかったのはもちろん、

民を抑え込めていないとして、彼自身ローマから大祭司の座を解任される可能性もありました。

そのカイアファの元へユダが訪れます。

イエスを止めたいと。

カイアファは機会を探り、静かな場所で奴を引き渡せと伝えます。

なぜ静かな場所なのか?

カイアファは、人気のあるイエスを公の場で逮捕したくないと考え、ひっそりと逮捕できる私的な場所を知りたがっていました。

マタイ福音書によると、ユダは銀貨30枚(1ヶ月分か4ヶ月分の賃金相当)をカイアファから受け取ります。

「この中に私を裏切る者がいる」最後の晩餐

イエスの最後の晩餐は過越祭を祝う席でした。

過越祭は旧約聖書の出エジプト記が由来。神がエジプトの人間と家畜に天罰を下し滅ぼしますが、家の入口の柱に子羊の血を塗ったイスラエル人の家には何もせず通過したことに由来します。

なごやかに晩餐がすすみますが、ユダにとっては気まずいものでした。

イエスが、「この中に私を裏切る者がいる」と言います。

「それは誰ですか」と問うユダに、「私がパンを水で浸し、それを与える者だ」といい、水に浸したパンをユダに与えます。

ゲツセマネの園とユダの接吻

オリーブ山の麓にあるゲツセマネの園で、イエスはよく祈っていたことをユダは知っていました。

ゲツセマネは油絞り器の意で、オリーブの木が生える地です。

祈るイエスのもとへ、ユダはカイアファの手下や守衛を連れて向かいます。

ユダは「私が接吻する人だ」とカイアファの手下のマルコスに伝え、イエスに接吻。

イエスはユダに「接吻で人の子を裏切るのか」と責めます。

カイアファの手下マルコスはイエスを捕らえますが、ユダに「本当にいいんだな」と尋ねたり、このドラマではイエスに対し迷いがちらほら見えます。

近くにいた使徒のペテロはユダの裏切りを理解し、マルコスの耳を切ります。

それを止めるイエス。マルコスの耳を癒します。非暴力を貫くイエスらしい行為です。

イエスは捕らえられますが、弟子たちは散り散りに逃げます。

弟子たちが逃げていくことは、マタイとマルコの福音書に書かれていますが、ルカの福音書には、「闇が力を振るっている」と記されています。

MEMO
闇の姿
・夜のゲツセマネの園のできごと
・闇にのまれたユダが裏切り
・弟子たちはイエスを見捨てて逃げてしまったこと
・イエスを死刑にする大祭司や長老たち

参考:http://zushikyokai.holy.jp/sermon/ser_141228.html

人々は闇に飲みこまれますが、イエスは人間の罪の闇に進み、人間の代わりにイエスが苦しむ、と解釈できるそうです。

イエスを死刑にするための裁判

カイアファ大司祭の屋敷に、最高法院(サンヘドリン)が招集されます。サンヘドリンはエルサレム有力者の会議。律法学者たちや長老が、彼らはイエスを裁くために呼ばれました。

この裁判はまともとはいえないものでした。

イエスを死刑にしようとして、不利な偽証を求め、夜中、しかも祝祭日に行われたのです。

カイアファはイエスに「神の子、メシアなのか」とイエスに問います。

神を自称し祭司たちより権威があると主張するなら、神への冒涜より悪い。

イエスの返答:「あなたが言ったことだ。しかし言っておく。やがで人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗ってくる。」

イエスは自分が神の右に座る、つまり神と同じ権威をもったと言ったのです。

これは死罪に値しました。

カイアファは招集した議員たちに、イエスの罪を問います。

「死刑だ」とほとんどの議員がカイアファを支持しますが、アリマタヤのヨセフとニコデモは、イエスに興味があり、無罪かもしれない男を死刑にするのは躊躇していました。

しかしカイアファに抵抗する力はなく、結局、皆にならってイエスを有罪とします。

後悔するユダ

マタイの福音書によると、イエスが有罪となってユダは後悔します。

自分がしたことがどんなに大変だったか、思いにいたったのです。

ユダはイエスがサンヘドリンで奇跡を起こすと思っていたのかもしれません。

後悔にいたったユダは、カイアファからもらった銀貨を返します。

ユダの最期は、マタイ福音書によれば首をつった自殺で最期を迎えます。

福音書に書かれているユダの裏切り

イエスをユダが裏切る理由は福音書によって違いますが、どれも明確な理由ではないことから、聖書最大のミステリーと言われています。

  • マルコ福音書:単に裏切る
  • ルカ福音書:ユダの中にサタンが入った
  • ヨハネ福音書:ユダを悪魔と呼んでいる

結局、ユダの裏切りの理由はわからず、物語には悪党が必要だったからという説、

また人間の良い面と悪い面の両方を描くのに必要だった説もあります。

テレビドラマ『イエス・キリストの生涯』では

  1. ユダはイエスの行動に悩み、ことの重大さに気付かずカイアファのもとに訪れた
  2. イエス自身が死を望んだ事でユダの裏切りが起きた

などの解説がありました。

ユダの裏切りはイエスの指示だった?

番組内で詳しく扱っていませんが、キリスト教の新約聖書の外典の一つに「ユダの福音書」があり、それによると、ユダはイエスから最も信頼された弟子で誠実な友人で、裏切りはイエスに指示されて行ったとされています。

イエスの受難はユダの裏切りがないと成立しないので、イエスは自分の運命とユダが支払う大きな代償もわかった上で指示したという事です。

この説が本当とすると、今までのキリスト教の歴史はどうなってしまうのか?ということになっちゃうと思うのですが、謎が多い人物だけに今後も議論は続くのでしょう。

ちなみにミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター』では、ジーザスを愛するがゆえ、その暴走を止めるために裏切るユダの姿が描かれています。

ゴッドファーザーPART IIで描かれる「ユダの接吻」
イタリアのマフィアは裏切りものを処刑する際、接吻するという風習がありました。

フランシス・コッポラの「ゴッドファーザーPART II」ではマフィアのボス、マイケルが兄フレドに「残念だよ、非常に残念だ」とキス。その後、フレドを殺します。

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